東洋医学の歴史 2
- 弘陽 松下
- 2020年12月3日
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前回お話ししたように、東洋医学は日本の医学の中心でしたが、二度存続の危機を迎えます。
一度目は明治時代です。
西洋文化が日本の主流となり、日本の伝統的な文化や風習は古臭いもの、として扱われるようになってきました。
医学も西洋医学を中心とし、東洋医学は必要ではない、という機運が盛り上がります。
二度目は戦後です。
敗戦後に日本に入ってきたのは主にアメリカの文化や風習で、日本独自のものは失われつつありました。
医学の世界も同様でした。
しかし漢方医や鍼灸師、按摩師の割合は西洋医師に比べて多く、物質的な世界観よりも精神的な世界観に馴染みが深い日本人にとって、東洋医学は肌に合うものであり、特に戦後の物資が少ない社会においては、ごく少量の道具で医療行為が行えることから、日本の伝統医学を残そう、という運動が盛んに行われました。
また、江戸時代以降、鍼灸師や按摩師は視覚に障害のある方に取って数少ない職業の一つであり、東洋医学がなくなってしまうのは死活問題でした。
その為、当時の視覚障害者団体や漢方医、鍼灸師、按摩師の団体の必死の尽力があり、東洋医学は日本の医療の一環として残され、次の世代へ引き継がれています。
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